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「我々はどこから来たのか・・・・」 ゴーギャン

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人間の誕生から死までの時空間的な流れが、その命題「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」を下書きなしの一発で仕上げた至高の作品(下絵は残されている)
完成から
112年も経つというのに、全世界の画家たちはいまだこの至上の作品を越えられないでいる。越えようとする画家に、この絵は容赦なく鉄槌を下す。越えようとして意味の不在な、見るものを飽きあきさせる抽象絵画に逃げ込んだり、陰翳の技法にただ酔いしれて、沈み行く夕陽を見ながらマティーニで一杯やり、己も酒で酔ってしまうのが関の山だ。ピカソだけはやや近づいてきている感じだが・・・・・・。見るものすべてを受け入れ、越えようとする画家を拒絶する。テーマは壮大この上なく、我々人類の主題であるがゆえに画家の思想がそこに転写される。

ゴーギャンは間違いなく楽観主義的実存主義者であったと思う。タヒチに逃げ込んだのではけしてなく、タヒチをまさに選択したのである。迫り来る産業革命の荒波の中にあったパリに「さよなら」の右手を振り、未開で野蛮な地「タヒチ」を選択したのである。工業化社会の行き着く果てを予感していたゴーギャン、これまた余命幾ばくもない自分の人生を予感していた画家の最終到達点が、この「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」に終結されている。画面右の赤ん坊から、画面左の運命を受け入れた老婆まで「生きる」ということの意味を、どちらかというと荒々しいタッチで表現している。スレンダーなパリジェンヌより、タヒチの太陽に照らされた健康な女性が、何者にも変えられないゴーギャンの宝物であったのだろう。この絵は右から左へと見ていくようになっているのだが、運命を受け入れた老婆の足元にトカゲを踏みつけている奇妙な鳥がいる。これは、言葉の空虚さというものを表している。                                          

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仕事をほっぽりだしてでもやらなくてはならないことが数年に一度くらいある。日本初公開のこの作品は直に見なければ意味がない。久々に仕事を後にして感激に包まれた一日でした。

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